アイルランド紀行・・・テンプル・バー >> 太陽がある時 ない時

「テンプル・バー」地区にある真っ赤な外観が目を引くパブ「テンプル・バー」。
ダブリンにいる間は何度も通った。
太陽が出ている時間も沈んでからも。

朝のテンプルバー。
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1840年って日本じゃ黒船ペルーも来てない?
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例えば新地(大阪の北新地)や東通商店街を朝通ると町も店の印象も違って見えて
違和感があるけれどアイルランドの繁華街って朝~昼~夕方~夜~深夜という
時間の流れが自然で切れ目がないんやなぁ。
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昼間のテンプルバー。
お昼ごはんを食べる。
音楽を聴く。
ダンスをする。
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夜のテンプル・バー地区で異彩を放つ外観。
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中に入りきれず漏れ聴こえる音を楽しんでいる人たち。
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掻き分けても掻い潜ってもなかなかステージの近くまではたどり着けない。
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ボタンアコーディオンとフィドルとギター。
音の渦に巻き込まれて高揚していくのがわかる。
しばらく呆然・・・。
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真ん中のとこが真っ白になっているフィドル。
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CDを買った。
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この町が眠るのは何時頃なんやろう。
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最後に注文したのはアイリッシュ珈琲。
熱くて甘いアルコールがゆっくりゆっくり満たされた細胞の末端に行きわたる。
明日の朝は早く起きなきゃいけないことも旅での出来事も何も考えられなくて
ただこの場所にうずくまっていることが幸せやった。
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「テンプル・バー」とは
ヘンリー8世の宗教改革によって16世紀に修道院が解散になるまで、
現在のテンプルバーエリアはアウグスティヌス会修道院が所有していた。
その後この土地を引き継いだ英国人の高官サー・ウィリアム・テンプルから
“テンプルバー”と呼ばれるようになった。
“バー”は川沿いの道を表わす。
1707年に税関(カスタムハウス)がリフィー川の南岸(現在のクラレンスホテルの建つ場所)に建てられ
アイルランドに運ばれるすべての物資がこの税関で検査を受けた。
そのためこの界隈には荷物を保管する倉庫が立ち並び、商店や酒場、宿が密集し、大いに繁栄していた。
しかし1791年に北岸にカスタムハウスが移転されると、テンプルバーの倉庫や店は閉鎖。
人々が去って建物だけが残され、徐々にスラム街へと替わっていった。
1960年代にCIE (交通公社)がリフィー川の北岸にあった中央バスターミナルをテンプルバーエリアに移転する計画で土地の買収を開始した。
その間、すでに取得していた建物を短期契約で安く賃貸していたところ、小さな店や芸術家が次々と集まり
やがて住民の多くからバスターミナル移転の中止の嘆願書が提出された。
結局バスターミナルの移転は1985年に中止となり、ファッショナブルなレストランやカフェ
野外劇場やアートミュージアムなどが集まり現在もアイルランド文化の発信地として発展を続けている。
by mint_jam | 2011-09-22 23:31 | travel | Trackback

フルーツフルな日々。旅人だったり、レコガールだったり、オリーブ少女だったり。 美味しい食べ物と麻薬性の高い音楽にうずもれて、気持ちが動くままに写真を撮っていると幸せです。 日常や日常じゃないどこか。座右の銘は一食入魂。photo&essay:宮本ミント


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