西山勲 写真展「mindscapes」@ギャルリ・キソウ
2016年 05月 07日
受け次がれ守られ、あるいは進化してきた文化に触れたときのワクワク感が
あるから、また旅に出たくなる。
写真を撮るために旅に出るのではないけれど、旅には必ずカメラを携える。
そして記憶と情報の記録としてシャッターを切る。
そんな旅を繰り返している私が最も注目している方のひとり、西山勲さんの個展
「mindscapes」にからめてのトークショウに参加させていただく。
世界のアーティストを訪ねるインディペンデントマガジン
「Studio Journal knock」の編集長兼編集者である西山さんが今回展示されるのは
「ノック」の取材撮影旅行の間に撮った、”被写体に胸を締め付けられた”写真たち。
彩度落ちした青寄りが、2年に及ぶ旅の途中の心象風景を細やかに現している。
好みの色調やぁ。
編集者として欲しい情報とは別に撮ったという心象スナップ。
俊敏には撮れない蛇腹カメラでの撮影はスナップとは言えないかもしれないが
西山さんにとっては、スナップなんだと思う。
いつ、どこで撮ったという情報を削いで選ばれた写真は、西山さんの個人的な気持ち
を代弁していながら、見る人の心と重なる普遍性がある。
スライドショウが、これまた静かに心地よく心を乱す。
オリジナリティは心のあり方が明確であってこそ生まれる。
手法(フォトショップなどをどう使うかも含めて)はあくまでも作品を作るための方法なんやなぁ。
案内状に選ばれたロシア人のポートイト写真は「笑顔はいらんけん、大切な人を
思ってください。」と声をかけて目の色がわかるほど近づいて撮ったという。
ポートレイトは被写体と撮影者とのセッションだ。
デザイナーとして就職して、独立して、いいトコに住んで、いい車に乗りたいと思っていた
と話される素直さが、「ノック」で取材されるアーティストの心を開かせるんやろうな。
次号も楽しみ♪
もちろん写真展もね。
+++++
西山さんからのメッセージ
美しい景色を目にし、 忘れられない出会いや別れを繰り返したとしても
背中には背負った重い荷物とは別物のどっしりとした侘しさがいつも覆っている。
旅が長引くにつれ、心の奥にどこか
世界から切り離されたような不安な感覚が棲みつくようになってしまった。
だけど、そんな慢性的な気の落ち込みの中で異国を歩くということは、
あらゆる可能性に期待し浮かれた気分でいた旅の初期より、
表現者としてずいぶんマシな状態だと思える。
ザグレブ郊外の薄暗いアパートとモスクワの雑居ビルの隙間で一服する証券マン。
チャオプラヤ川支流に佇む青年とボスニア市街地を走る路面電車。
なぜシャッターを押したのかすら思い出せない、一見無意味に思える場所や、
わずかな時間のズレで、出会うことのなかったはずの人々。
こうした特定の文脈から切り離され、
浮遊するイメージの中にこそ行くべきであった場所、
見るべきであった風景が写っている。
@ギャルリ・キソウ(撮影・西山勲)