チケットの思い出
2007年 04月 11日
フェスティバルホールの入っているビルが解体され
生まれ変わることになったと公式発表がありました。
フェスティバルホールと言えばmintにとっては山下達郎!
高校生の時から毎年「初コンサート詣で」は達郎でした。
ここ15年ほどは、ほとんどコンサートをしていないけど
コンサートがあれば必ずクラッカー持参で行きます。
(必ず演る「LET'S DANCE BABY」 の「心臓に指鉄砲!」 のところで
お客さんがクラッカーをパ~ン!!と鳴らすのが恒例なのです。)
達郎が「日本一のホールや!」と言い続けてるフェスティバルホール。
達郎に言わせるとフェスは「大きなライブハウス」。
ライブハウス育ちの達郎にはライブハウスの匂いがするフェスは
たまらなく演奏意欲を掻き立たせるやろうな。
ぴあが勢力を伸ばす前はチケットを取るのに始発に乗って
行ってマルビルに並んだよ~。
チケットにも個性があって受け取ったときは 嬉しかったものです。
特に外タレ(外国人アーティスト)は入手が大変やったけど
有り難味もあったなぁ。
そんな並んで取るのが主流やった頃から
達郎(SOGO大阪)のチケット入手方法は郵便。
発売日当日に大阪中央郵便局に行って
速達書留でお金を送る方法でした。
フライングは後回しになるから時間を計って送ってました。
高校のときは友だちが♪うぅ~授業をさぼって~イェイ~
(BGMはRCサクセション)行ってくれてました。
あぁ、懐かしき日々。
その頃はチケットにはミュージシャンのロゴが使われ
きちんとデザインが施されていて学習机の前に貼って
公演を持ちわびていました。