三陸紀行>>ワカメの仕分け
2016年 06月 30日
ボランティア。
私はワカメ班、レディー・ゴー。
ある程度の組織になっているところでの作業かと思って行ったら
個人の漁師の家だった。
「漁業共同組合がワカメを買ってくれる最終日が迫っているから
来てくれて助かるわぁ。」とお母さん。

課せられたのは、漁業共同組合に持って行くために、「太」と「細」に分ける。
「これが細。」
迷ったら「太にして。」

ワカメからまってウネウネやし。
ほぐすコツをつかむのに時間がかかる。

ワカメにまみれる。




「一服してね。」
お母さんがコーヒーを差し入れてくれはって、しばし休憩。
「外国人の方や修学旅行生もボランティアに来てくれはるんよ。」
ワカメって長いんや・・・。
日本の海でこんなにも素晴らしい食材が収穫できるというのに
どうしてこの自然を守ろうとしないのだろう。
ゲンパツで得るものより、大切なコトがあるよ。

ビーチクリーン班。

メカブ班。

メカブの横で作業してはるのは、ホタテやって。

いい眺め。




三陸紀行>>ホテル観洋
2016年 06月 29日

2011年から定期的にボランティアで東北に行っている友達が、もし
三陸で泊まるなら、と薦めてくれていたホテル観洋。
前回は、教会に泊めてもらったのでロビーに入っただけやったけど
遂に宿泊。
岩盤の上に建っているので、地震があってもビクともしなかった
三陸のアイコン的ホテル。
従業員の方から当時のエピソードを伺う。
ホテルは難を逃れたけれど、生まれたての子供と住む自宅は全滅。
ボランティアの方には随分と助けられ感謝している。
随分経ってから、ボランティアの方が赤ちゃんの命名色紙を
瓦礫から見つけてくれた時は、本当に嬉しかった。と。
海を見ながら入る温泉は格別。
睡眠時間を抑えて唯一の自由行動、入浴を満喫。
名物という朝日の輝きは見られなかったけれど、朝靄もまた良し。




豪華な夕食。


2夜続けてアワビを食べるなんて、最初で最後かも。

三陸紀行>>戸倉地区で防災訓練の大切さを知る
2016年 06月 28日
大切さを再認識する。
住宅が建てられない海にほど近い土地は殺伐としている。

地震と津波に備えて三陸では常に防災訓練をしてるという。
3.11の前日に起きた地震で、ある小学校の先生はいつもの避難場所
より高いところを避難場所に変えよう。と申し出る。
紆余曲折はあったものの、新しい避難場所に選ばれたのが
五十鈴神社。
そしてすぐさま子供達に避難訓練をさせたという。
そして、地震と大津波。
訓練通り高台にある神社に逃げた190名の命は救われた。



実際に登ってみたけれど、こんなとこまで津波って来るの?
と思うほど高い。
まさかここまでは来ないだろうと、登る労力を惜しんだ大人たちは
帰って来れなかった。
よくぞ、機転を利かせてくれた先生がいたものだ。
暗くて寒くてお腹がすいて心細くなっている子供達は
みんなで歌を歌ったりしながら夜明けを待ったのだそう。


標高23メートルに立つ石碑に書かれているのは
”未来の人々へ
「地震があったら、この地よりも高いところへ逃げること」”

神社への道すがら、雑草に紛れて花咲くムスカリと出会う。

三陸紀行>>志津川と防災庁舎
2016年 06月 27日
参加したのは、宿泊が一度泊まってみたかった「観洋」で、内容の濃い
視察とボランティア活動という行程で三陸を再訪する良い機会だったから。
集合場所のくりこま高原からバスで南三陸に向かう。
ぼんやり車窓からの風景を眺めていると、「あっ、登米!」
見覚えのある橋と川。
牧師として赴任した錦織バプテスト教会で被災した友達夫妻を
訪ねて2012年、登米市を訪れた時、何度も通った北上川。
カメラを取り出し、走るバスの中から撮る。
旅の初めに、この風景を見たことで、あの日、あの時に見た風景や
友達が言った言葉で感じた大きな思いが蘇る。

バスは南三陸の防災庁舎の前で停まる。
生々しかった4年前は、とても写真など撮れなかった。
(至近距離での部外者の撮影は禁止だったかも)
現在は瓦礫もなくなり、整地のために遺族も近づけなくなっていて
新設された道路を挟んで献花台が置かれている。
そして、残す、取り壊す、の論争は遺族や住民の間で今もあるよう
だけれど、残す方向で進んでいるという。



「これ、なんだと思いますか?」
知らない人が見たら、すぐに駅とはわからない。
「この境目(壁の跡)から向こうが気仙沼線の志津川駅だったんですよ。」

立ち入り禁止区域になっているが特別に登らせてもらう。
駅前は繁華街だったそうだけど、面影はどこにもない。



南三陸といえばモアイ。
1960年に起きたチリ地震津波が、志津川を襲ったことに端を発する
友好。
三陸は何度も津波被害を経験して来たのだ。
けれど、その経験や体験談がアダとなったのだと、何人もの方が
おっしゃるのを聞く。
経験が学習にならないこともあるんや・・・。

結婚式場だった「高野会館」。
海に近く、波は4階部分にも達したというのに、スタッフの機転で
330人(大半がご高齢)の命が助かったエピソードに感動する。


あの日のまま残された、剥き出しのエレベーター。

10m地面を嵩上げしている。
これって、いったいどれくらいの時間がかかるんやろう。
整備が終わっても、そこには住宅は建てられない。
モデルケースとして建てられたコンビニを車窓より見学。


女子会(^q^)@クアン・アンゴン
2016年 06月 26日
待ち合わせたのは、ベトナム料理のお店「クアン・アンゴン」。
ベトナム語で「おいしい!」という意味の店名に偽りなし。
日本以外のアジアに住んだ経験がある2人の友達は、いろいろあっても
アジア、ラブ。
私も60歳になったら神戸が寒い間はタイに住みたい。
そして、話題は苦手な単語へ。
「女子会」「断捨離」「ニシキタ」「イナイチ」「お連れ合い」「ガラケー」・・・・。
意味はわかるけど、自分は使わない言葉ってあるよね。

どれも美味しくて、感動&感激。(コース料理です)
最初に出てきた生春巻、今まで食べた中で一番美味しかったな。
気がつけば満席、さすが。
前菜

バインセオ(ベトナムのお好み焼き)

揚げ春巻(ピントが葉っぱにあっているのは酔っ払っているせいってことで)

トリ

空芯菜

フォオー(米麺)

デザート



八幡神社@阪急六甲界隈で大英帝国EU離脱を思う。
2016年 06月 25日
単語ではあるけれど、内部事情をほとんど知らない。
EU加盟国間なら引っ越しも簡単に出来るんやね。
初めてお会いした方から、まさか離脱するとは思わず、買い付けのため
100万円単位の換金をした(涙)という方のお話を伺い、英国EU離脱
決定を知る。








写真展「いま、モトコーは。」を見て有楽名店街を思う。
2016年 06月 24日

バックパッカー&路地裏町歩き師匠の写真家・永田収さんが撮られた
モトコーを拝見するべく、写真展「いま、モトコーは。」@こうべまちづくり会館へ。
大学生の時に撮られた写真もあって、やはり昔の写真は神戸の記録としても興味深い。
そして、学生の頃すでに撮りたいものを確立してはったってことやね。
人を真正面から撮りたくて(日本では当時は撮れなかったそう。)海外に
出はったのだそう。
確かに海外に行くと、パシャパシャ撮っても物言いされることはほとんどない。
そしてもう一つ。
「モノクロームだと情報が少ない分、自分のテーマに集中出来る。」と。
そんなお話を伺ったので、有楽名店街の写真を彩度を落としてみる。
写真にとって色は映像のBGMみたいに”写真=絵”を脚色して、見る人の
感情を制御・統制する要素かも。と思ったりする。
素晴らしきセコ販商店街として世界の船員さんに名をとどろかせた
モトコーのこれからはいかに。
「モトコー」存続危機 JR西耐震補強で退去要請@神戸新聞
醸し出す客層&お店の雰囲気を感じ取らせる看板。
書体は文化やなぁ。
ほとんどのスナックって、ブログやインスタグラムなどしていなくて
食べログにも掲載されていないと思われるし、そんなのを見て来るような
お客さんは、ママにそっぽを向かれそう。
昨年末で終了と聞いていた有楽名店街@阪神元町駅は、まだ営業している。








モンドリアン・ルックな家
2016年 06月 22日

水平線、垂直線、対角線、これが噂の「デ・ステイル」な建物ですか。
モンドリアンが描いた赤、黄、青のコンポジションや、リートフェルトが
設計したシュレーダー邸を思い出させる外観。
ええ感じの朽ち方やね。
シュレーダー邸はシュレーダー夫人(未亡人)と子供達の家なんやけど
施主のシュレーダーとリートフェルトは愛人関係やった。と訪れた時に
教えてもらい、近しいから出来た設計やと思った。
(オランダのユトレヒトにある世界遺産。)
長方形の真ん中にシースルーの階段があって、お母さんがどこから
でも子供達を見ることが出来るように壁が可動式で(地震がない
国だから出来た?)大きなワンルーム。
えっ、ここが収納になるの?みたいな小技があちこちにあって、
住んでみたくなる家やった。
このモンドリアン・ルックな家の由緒が知りたい。
空家のようやけど、内装がどんな風なのか見てみたい。

シャウエンは青かった
2016年 06月 21日
この路地はどこに通じているんやろ。

腰壁部分だけ青に塗っているのはデザインか、それとも脚立に乗りたくなっただけか。

モロッコ人にA型(一般的にA型の人はきっちりしていると言われているから)は
いないのか、この国に丹精という言葉はないのか。
義務感で塗っているのだろうか。
塗るのを楽しんでいるのだろうか。
なんとなく・・・なのだろうか。

おとぎの国に迷い込んでしまった。というのは錯覚で
泳ぐように歩くと、いつのまにか見覚えのある広場に戻り
レストランの客引きに執拗に声をかけられ、ここが観光地であり
自分は観光客であることを実感する。
植木鉢だって青に塗られている。

メーターボックスだって青に塗り籠められている。


幻想的で開放的。
「地球は青かった。」と言ったガガーリンに対抗してガガーミンは言おう。
「シャウエンは青かった」。



本名はシェフシャウエンなのに、みんなシェフは付けずにシャウエンと呼んでいる。
シャウエン=アラビア語で角・山のてっぺんって意味だと知って
リフ山脈の奥に在る2000m級の山を見上げる。
15Cにスペインから逃れたイスラム教徒が要塞として築いた街であり
1920年スペイン領になるまで、異教徒は入ることのできない街だったという。
何故住民は家の中だけにとどまらず、道や外壁を青く塗っているのか?
スペインからシャウエンに移住したユダヤ人が、天空・神・心の平静・海などを
象徴するにとって神聖な色「青」に塗り始めたという説は信憑性がありそうやけど、
夏の暑さを見た目だけでも和らげるためとか虫除けという説は、???
自ら塗った青い街に住んでいる気分はどんなもん?
その所以が定かでないまま、観光客向けにではなく、生活の一環として今でも青に
塗り続けているなんて、なんてロマンチックなんやろう。